<スポンサーサイト>

2011年7月24日日曜日

地震と津波の爪痕~福島県いわき市~

 東日本大震災から4ヶ月と11日過ぎた7月22日、私は福島県いわき市に行って来ました。JR常磐線に乗って、いわき平駅から三駅目の久之浜まで行き、そこで待ち合わせた仕事の先輩のKさんに車に乗せてもらって海岸方面へ向かいました。
 現在、常磐線は福島原発事故の影響で、久之浜から亘理までが不通になっており、久之浜から15分も車で走れば、原発で作業している人たちの拠点となっている「Jビレッジ」はすぐそこです。
 私は本宮市から来てくれたKさんの車に乗り込みましたが、Kさんから開口一番「この辺りはまだまだひどいよ、見ない方がいいんじゃない」と、脅しともつかない言葉を言われ、なんとも複雑な気持ちになりました。
 駅周辺を見る限り、それほど被害の痕跡は見あたりませんでしたが、車を走らせて5分もたたないうちに、フロントガラスの向こうの悲惨な現状がすぐに目に飛び込んできました。
 事前情報で知ってはいたものの、やはり実際に現場を見ると、言葉が出なくなるほどひどい状況です。まるで映画のシーンのために造ったかのような風景と瓦礫の山、燃えて真っ赤に錆び付いた車の山がそこらじゅうにありました。
 かつて住宅地であったと思われる海沿いの町は、かろうじて崩れずに残った家が何軒かある以外は、ほとんどが基礎だけになっていて、あちこちに解体した瓦礫やゴミが山になっています。かつて子ども達が元気に走り回っていたせあろう幼稚園は、建物一階部分が津波でほぼ破壊されており、今にも崩れてしまいそうな状態です。まさに「目を覆うような光景」が、4ヶ月以上たった今もそのまま残されているのです。「復旧」「復興」という言葉など、とても思い浮かぶような状態ではありませんでした。
 それでもこの状況は、地元の方やボランティアの方々の地道な作業によって、かなり片づいた状態なのでしょう。片づけ作業をしている人々をあちこちで見かけました。
 今回の目的は、福島原発から20Km圏内の立入禁止地域に実家があった私の知人が、現在大阪に避難していて、今の状況が知りたいとのことだったので、できるだけ福島原発に近い場所の状態を確認することでした。しかし、当然ここから北は放射線量も高いはずで、しかも車以外では移動手段がないため、常磐線の最終地点を見ることにしたのです。
 しかし、ここでの状態を確認しただけでも、この先の状況は見当がつきました。そして私はすぐに、彼にどう説明したらいいものか途方に暮れてしまいました。

 前日の夜にいわき市周辺でホテルを探しましたが、いわき市内はもちろん、ほとんどのホテルや旅館が満室で、やっと久之浜の旅館「下川荘」が一軒空いていて、なんとか今回の宿泊地を確保したのでした。ところが、駅に到着前の電車に乗っている時点で、Kさんからメールが入りました。それは「今、下川荘の前を通ったけど、あれで営業してるのか?」というものでした。
 前日、下川荘に予約の電話を入れたときは、愛想のいいおばさんが、「食事付きでも食事無しでも料金はそう変わらないよ。夕食を食べるならお酒をサービスするから、明日お昼頃までに決めてくれればいいよ。」とまで言ってくれていたので、私は気をよくしていたのでした。
 ところが、久之浜からいわき市街に向かう、国道6号線沿いにあるその旅館を見たとき、愕然としました。
 一階部分は津波で破壊されていて、全ての窓と入口がブルーシートで覆われていて、外には仮設トイレと小さなプレハブ小屋があり、とても営業している状況には見えませんでした。営業していたとしても知らずに行った人は間違いなく仰天するような状態でした。もちろん私が予約したときも、そんな事は一言も言っていなかったので、かなり愕然としましたが。
 何故予約を受けたのかは不明で、建物を見た瞬間は怒りをおぼえましたが、いずれにしてもこの旅館の人たちも被災しているわけで、よく考えてみれば気の毒な事ではあります。
 結局、Kさんがいわき市内の駅そばのホテルをとっておいてくれたので、その夜は野宿せずにベットに寝ることができました。



View Larger Map


 
東日本大震災~いわき市久之浜漁協付近~ 2011/7/22





東日本大震災~いわき市久之浜 下川荘付近~ 2011/7/22





東日本大震災~久之浜からいわき市街 国道6号~ 2011/7/22





東日本大震災~いわき市 国道6号線~ 2011/7/22





東日本大震災~いわき市 砂浜は瓦礫の山~ 2011/7/22





東日本大震災~いわき市小名浜漁港~ 2011/7/22

0 件のコメント:

コメントを投稿