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2011年1月13日木曜日

C棟4階24室 1737番~未決から懲役へ~

 5月10日に拘置所に入り、それから2週間が控訴期間だということは前に書きましたが、5月25日を過ぎても何の沙汰もなく、未決囚のまま何もすることのない放置プレイに、私は嫌気がさしてきていました。グループ運動の時間に他の人に聞いても、通常は14、5日で刑の確定が通知されて他の部屋に移り、それから1~2週間で刑務所に移送になるはずだということでした。
 待つことがあまり得意ではない私は、16日目をすぎていよいよストレスが満タンになってきたころ、5月29日になってやっと担当看守がやってきて、「明日移動になるから、朝食までに荷物をまとめておくように」と言われました。
 5月30日の朝、部屋にあった食品類は全てゴミ箱に捨て、私物を施設のキャリアバックに入れて片づけました。朝食後、看守が迎えに来て房を出て、また、ここに来たときと同じ長い廊下を歩き、エレベーターに乗って、入所時に身体検査などをした地下一階の体育館のように広く天井の高い部屋に入りました。
 入所した時に領置(施設に預けた私物)した私物と、部屋に持ち込んだ私物の検査があり、今回は私物のほとんどが取り上げられ、本と歯ブラシと食器をキャリアバックに入れ、ここの官服(囚人服)と下着をを渡されました。
 私を含め50人ほどいたでしょうか。各々自分の服を脱いで素っ裸になり、だだっ広い部屋の隅の方で官服に着替えて整列しました。官服は上下ともネズミ色のよれよれの囚人服で、サイズはぶかぶかで、ズボンは縫いつけられている紐で縛ります。サンダルは薄汚れた茶色の便所サンダルでした。
 刑が確定したため懲役刑が執行され、今日から未決から既決となり受刑者となることを説明され、一人ずつ名前を呼ばれて前にでると、罪名と刑期と新しい自分の番号を伝えられました。
 再び整列して、番号を呼ばれた人から順番に部屋を出て、看守に先導されて新しい房のある棟へと向かいました。
 
 こうして5月30日、私は受刑者となり、C棟4階24室 1737番になりました。
 今度も単独室でしたが、部屋が中庭側のためか薄暗く、壁も落書きやシミで汚れています。布団も前に比べてかなり薄くなりました。もちろん規則も厳しくなり、常に定位置に座っていなければならず、態度が悪ければすぐに懲罰となって、食事以外の時間はドアの前で何日も正座をし続けなければなりません。起床時間が6時40分になり、朝食後7時30分から11時50分まで房内で袋貼り作業をし、昼食をはさんで12時30分から16時10分まで再び袋貼り作業をします。そして2,3週間後には刑務所に移送されることになります。
 房に備え付けの「所内生活の心得(既決)」にはこう書かれています。
 「この心得をよく読んで理解し、分からないことは職員に尋ね、施設での生活を通じて、ルールを守る強い精神力と規則正しい生活態度を身につけ、一日も早く社会復帰し、善良な社会人として家族や社会のために貢献できるよう、一日一日を大切に過ごすように心がけてください。」
 そして、もう一冊の「受刑者新入手引き」にはこう書かれています。
 「あなたは、先ほど懲役刑執行を言い渡され、今日から受刑生活を送っていく。この受刑生活は今日から全て行状・成績及び動静が記録され、移送された施設においても、そのデータが参考にされるので、ここに収容されている間、刑務所ではないからと言って、室内においての生活態度、作業等においていい加減な気持ちではならない。ここでは、これから尊守しなければならない規律等を順次説明していくので、後日、「聞いていない」「知らなかった」という事がないように。
 言いたいことはわかりますが、前の文章では常識的なことをやわらかく書いているのに対して、新入手引きでは、あきらかに威圧的な文章で、施設側の受刑者に対する「本音」と「建前」が見え隠れするような文章に感じます。
 また、「受刑者新入手引き」のファイルには、一般の人から選ばれた拘置所視察委員会が作製している、「小菅新聞」なるものがあり、視察委員会が受刑者と面接したり、施設を視察して拘置所の運営に意見し、改善しているというような記事が載っていました。
 その中には死刑確定者に対する処遇の改善に関する記事もあり、私はそれを読んで、この東京拘置所が死刑執行施設であり、この施設のどこかに松本智津夫や林泰男もいるのだということに気づいたのです。

 

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