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2010年11月30日火曜日

その、霞ヶ関とは...

 その、異人さんでも良い爺さんでもない制服を着た人たちに連れて行かれた場所は、田舎者にとって、よくテレビに映る国会議事堂のすぐ横の霞ヶ関だったのです。
 そこには日本の法曹界の中枢である、最高裁判所と最高検察局があり、隣には弁護士会館もあって、最高にHighな、Nowい場所だったのです。
 そんな、テレビで見て「はぁ~、とおきょおっつううのはすげんだなぁ。なんでも、あすこで、はなしがまどまるっつんだぁ~」なんて場所に、テレビに映っている誰かと同じ自分が、手錠につながれて護送車を降り、ロープにつながれて地下への階段を下りているのでした。
 もはや羞恥心などありません。みんな猿回しのようにつながれているのです。
 カッコ悪いとか良いとかでなく、みんな犯罪者扱いの人間のクズなのです。
 かと言って、お互いに話すことは許されず、これから何が起こるのかもわからないまま、クソガキもクソジジイもクソオンナもクソババアも、小さく小さくなって手錠をはめられたまま、味気もないモノクロの建物に引きずり込まれていくのです。

 大声で番号を叫びながら、猿回しの猿たちをオリに誘い込む制服の人を横目に見ながら、「世田谷15番」である私は、ビビリながら誘導にしたがい、再び待合室であるオリの中に閉じこめられるのでした。しかも、手錠をはめたまま。
 朝8時に手錠を掛けられ繋がれて、護送車に乗って7ヶ所ほどの警察署を周り、2,3人づつの被疑者がつながれて東京地検に着くのが10時半ごろ。その後、待合いのオリの中に手錠をしたまま押し込められて、全ての被疑者が戻ってくる間、ずっっと堅いかたいイスに座り続け、およそ7時間、長ければ9時間、一言もしゃべらず、眠ることも出来ずに待ちつづけるのです。
 当然、自分が呼ばれて検事と話したり、裁判官と話したりするのですが、それは先ほど書いたように建前上の面接なため、10分位でおわります。拘留延長請求を裁判所が認めるか認めないかという場合も、そこに行って面接をしますが、どんな酌量を求めようが、涙を流して土下座しようが、全くとりあってもらえず、流れ作業の中であっという間に拘留延長が裁判官によって認められ、後は首をうなだれたまま、硬くて冷たくて眠れないイスに座り、ひたすら他の人たちが終わるのを待つかないのです。
 そこで出るお昼は決まっていて、薄い食パン4枚と給食にでてきた袋に入ったマーガリンとチョコ、小さなパック牛乳と小さなチューブ入りのチーズだけです。ただ、その時だけ、20分間手錠を外してもらえます。
 税金でまかなわれている食事なので、当然贅沢は言えませんが、この時点でここに居る全ての人が犯罪者であるわけでもなく、タバコや酒を飲んでいる人がいれば、少なくともそれだけで一般市民の納税者でもあるはずです。

 そんなことをいってもはじまりませんが、この待ち時間だけでも心が萎えてしまうことは確かです。

霞ヶ関とは

 そんなわけで私も、手錠をかけられその手錠をまた他の人とロープでつながれて、朝もはよから護送車に乗って霞ヶ関にある東京地方検察局に連れていかれたのです。

 (全く関係のない話ですが、「♪ 赤いくつ~♪   はーいてた~   おーんなーのーこ~♪」の歌詞のあとは、「いい(良い)爺さんに連れられて♪いーっちゃーった~♪」ではなく、「異人さんに連れられて行っちゃった」で、あったことを知ったのは、つい最近です。.....もうしわけない。  今、ふと思い出してしまったもんで.....。)



こうして書きながら
 薄れつつある しかし忘れもしない あの記憶をたどり
自分の足跡を 確かに残していることに 癒されている
自分の人生
悲しいことも 楽しいことも
自分の生き方しだいでかわっていく
大切なのは
これからの
自分を信じて
何が出来て
何をしようかと思うこと
無理しなくても それくらいは出来るだろう
こんなに自分が好きな 自分がいるんだから


デキレース

 私が留置場に入った時には、公務執行妨害の方と不法侵入及び窃盗罪のコロンビアの方がいましたが、公務執行妨害の方は話を聞くと、三軒茶屋駅のホームで喧嘩に巻き込まれ、酒に酔っていたせいもあり、駆けつけたおまわり様に「おれは関係ねえ!」と怒鳴ったところ、唾がおまわり様の制服にかかって、それが公務執行妨害だとのことで逮捕されたとのこと。よく聞くと私と同い年の方でした。
 しかも、酒に酔って・・・の件で留置されるのは3回目だとのこと。同い年とは言え、人生経験の上ではかなりの先輩でござりまする。
 彼はこれまでの2回とも、1週間以内で出られたそうですが、その間にあった一番辛いことは、拘留延長や検察官による取り調べのために、護送されて地検に行くことだと言うのです。
 私はどのぐらい辛いのか、皆目検討もつきませんでしたが、留置されて4日目、とうとうその恐るべき地検に護送されることになりました。

 その時のことを書くまえに、その酒で云々3回目の先輩によれば、とにかくこの法曹界は、検事と裁判官と弁護士によるデキレースだと言うのです。
 先輩の話ですから、フムフムとよく聞くと、結局、社会問題になるような大きな事件ならともかく、単純な公務執行妨害であるとか、交通違反だとか、こそ泥棒のような犯罪は世の中に吐き捨てるほどあって、それを処理するためには都合上、流れ作業にのせて処理し、それは暗黙の了解となっていると言うのです。
 つまり、留置→聴取→拘留延長→検察聴取→起訴(または不起訴、これはあまりない。なぜなら、捕まえた上に拘留しておいて、起訴しなかったら逆に訴えられるから。)→弁護士介入→裁判→判決→控訴→裁判→判決→上訴(ここまでいかないのがほとんど)→裁判→判決→罪人or無罪(これも検察の権威においてまずない。検察は99%の勝利...?...をめざしているが、このところの裁判員制度で無罪確定が増えており、また、暴かれた検事や検察側の不祥事が明るみにでていることもあり、威厳が崩れかけているためにかなりあせっている)という流れがあって、この流れにのってしまえば、つまらない犯罪は相手にされないどころか、何を言っても無駄であり、法曹三界もこれを暗黙の了解で、一日何百件という案件を処理するために、簡単にベルトコンベアーに乗せてしまうのが当たり前だというのです。
 マジでぇ? 
マジだったのです。ひどいのはおまわり様ではなく、法曹三界によるデキレースなのです。
 
 この先輩の話は「へぇ~ そうなの」と、実感もなく聞いていましたが、地検や裁判所に護送された時に、私自身が実感し、相当な怒りをおぼえました。
 検事に怒りを覚えるのは仕方ないとしても、弁護士はけして味方とは限らず、裁判官も公平であるとは限らないのです。

 考えてみると、おまわり様は公務員といっても公務員の下の下からはじまれば、やはり給料だって安いし、その割にハードなお仕事をされているわけです。
 しかし、法曹界のメインの方々はそこにいるだけで既にエリートであり、ある程度の地位になれば上流社会に生きられる訳であり、(そういう方ばかりではないでしょうが、それはどの世界でも同じ)もちろんそれなりに学問をし、苦難を乗り越えたにせよ、ちっと考え方が一般peopleと違うのではないかと、思う次第であります。ハイ。
 
 ちっと、何故かコウフンしてしまいました。
コウフンは体に悪いので、今夜は寝ます。つづきはまた明日、よろすく。 

留置場でのいろいろ

 警察署の留置場は、あくまで被疑者を留置しておく場所で、起訴されるまでの間に取り調べをするために留め置かれる場所であり、起訴後は拘置所に移送になるわけですが、永い人は1年以上も留置場のままの方もいます。
 私の居た世田谷署には、去年の8月からの入っている方もいて、「運動の時間」にちょっと聞いたところによると、複数犯の場合や、なかなか罪を認めなかったり黙秘しつづけて調書がまとまらない場合、10日おきに拘留延長され続けて長い間入ることになるようです。
 その方はもちろん国選の弁護士をつけているのですが、保釈請求が却下され、今だにいつ出られるかわからないとのことで、長く陽に当たらないためか青白い顔をしていました。

 留置場にいる間はあくまで被疑者、つまり犯罪を疑われている段階であり、犯罪が確定しているわけではありませんので、一国民として平等に扱われて良いはずですし、扱われるべきですが、一度入ってしまうと到底そんなわけにはいきません。それが冤罪であったとしても、留置場に入った瞬間から、既に犯罪者に対する扱いになります。
 名前は番号で呼ばれ、常に監視されて(当然といえば当然かもしれませんが)、規則に従わない者はさらに扱いがひどくなります。自分の持ち物は全てとりあげられ、逮捕された瞬間から誰にも連絡することができなくなります。 私の場合は、逮捕となる直前に家に電話をさせてもらえましたが、現行犯逮捕のようにいきなり手錠をかけられると、家族に連絡も取れず、しばらく行方不明状態になってしまい、家族が捜索願を警察にだして、初めて逮捕されて留置されていることが分かることもあるようです。
 服は自分の物を着ていられますが、ベルトや指輪、金属類はもちろん駄目で、メガネさえ就寝時に預けなければならないのです。
 規則ももちろん厳しく、同じ房の人とでもあまり盛り上がって話していると注意されるし、態度が悪ければ一人部屋に移されます。
 風呂は5日に1度、洗い場の蛇口は3ヶ所あって3人づつ入りますが、浴槽は1人でも狭いくらいの小さな浴槽で、入浴中もドアの小窓からずっと看守に監視されます。手紙は便箋5枚までで一日1通しか出せず、内容はすべて検閲されます。ボールペンは借りられますが、午前10時から午後5時までで、危険防止のためかペン先は0.5mm程しか出ておらず、下手な字がますます下手くそになります。
 部屋は冷暖房こそ効いていますが、鉄の網と鉄格子で区切られているとはいえ、遮断するのは外側の窓だけですから、暑かったり寒かったりで、人間が長く生きられる環境でないのは確かです。
 ともかく、そんな状況で私は「一晩泊まって行け」の話が、3日になり1週間になり、とうとう1ヶ月留置されることになってしまいました。
 その原因は、後で判ったことですが、私が弁護士を依頼しなかったことがまずかったようです。
(つづく)

2010年11月28日日曜日

留置所での初夜が明けて

 これは夢かもしれない、目が覚めたらちゃんと家にいて、いつもの朝が待っているはずだと期待しながら、鉄格子の向こうの、鉄線入りの曇りガラスに写る車のライトを眺めているうちに、永い永い眠れぬ夜は明けてしまいました。
 6時半に起床の声がかかり、布団をたたんで各房ごとに布団部屋に片付け、洗面の蛇口の空いている分だけ房から出されて歯磨きをし、終わった房から順番に掃除機がまわされて、雑巾でトイレを拭きます。
 7時に小さな小窓から一畳分のゴザが入れられて、これがテーブル代わりになります。朝飯は冷たいご飯と、4分の1切れほどの魚のフライと沢庵2枚のおかずに、一番安いインスタントみそ汁(ほとんど具は見あたらない)で、みそ汁を飲み終わると、そこにお茶か白湯をついでもらいます。
 留置所の房は7室あり、同居人が2~3人いますが、私は6号房で他に公務執行妨害の方と、窃盗で逮捕されたコロンビア人の方が一緒でした。
 コロンビア人の方は日本食が合わないらしく、ほとんど食べ残していました。
 いや、コロンビア人でなくても食べ残したいほど、まずい朝食でしたが、留置所の朝食がうまいはずはないので、あきらめて腹に流し込む感じです。

 食事が終わってしばらくすると、霞ヶ関の地検や裁判所に行く人は別の小部屋で身体検査の上、手錠でつながれ、さらに手錠同士をロープでつながれて、他の警察を廻ってきた護送車に乗って出かけていきます。(行くときは「護送」帰りは「逆送」と呼びます)
 それ以外の人は、8時半になると「運動室」(8畳位の部屋で、とても運動などできるところではなく、建前上の「運動室」ですな)に行き、2,3人の看守の見守る中で、ヒゲをそったり爪を切ったりし、タバコを2本だけ吸うことができます。もちろんタバコは自前で、お金が無い人は吸えません。
 タバコを吸う人と吸わない人は、時間をずらして運動室に入るので、これもある種の分煙ですが、吸う人の場合、狭い部屋で6,7人が一度に、しかも指が火傷をするほど根本まで吸うので、部屋に煙が充満して、吸わなくても十分吸った気になるし、すぐに肺ガンになりそうな環境です。
 その後、9時頃から取り調べが別の部屋で始まり、私も2日目と3日目に午前中3時間、昼飯を挟んで午後2時から4時間ほど取り調べを受けました。
 取り調べといっても、こちらは深く深く反省しまくっていたので、刑事さんも穏やかで、話も比較的スムーズに進んでいましたが、ああいう場所ですので、緊張のせいか頻繁に尿意をもよおし、その度におまわりさん立ち会いのもと、小便や大便をするわけですが、人の排泄状況をくさい臭いをかきながら待っているおまわりさんには、非常に申し訳なく、とても気の毒に思えました。やはり、大変なお仕事なんですよ、おまわりさんも。
 そんなこんなで一日が過ぎ、夜9時には消灯となって、またまた永い永い夜が始まるのです。
(つづく)




な!なんだ、このコーヒー!?

2010年11月27日土曜日

拘置所生活3ヶ月の臭い飯の前に...

実は拘置所での3ヶ月の前に、3月10日から4月8日までは世田谷刑務所で約一ヶ月ほど冷たい飯<冷や飯>をいただいてまいりました。
<冷や飯>というだけあって、本当に冷たいのです。
そして拘置所や刑務所は<臭い飯>というだけあり、麦飯なのでちっと臭うのです。言葉は真実なのです。
3月10日、私は仕事の打ち合わせのため、首都高三軒茶屋出口をおりました。
降りるとすぐにY字路の交差点になっており、そのまま進むと246号ではなく、世田谷通りに右折してしまうため、あわてて左車線に変更したところ、あっという間に待ちかまえていた白バイのおまわり様に見つかり、拡声器で「そこのパジェロ!車線変更禁止で~す。信号の先で止まりんしゃ~い!」と声をかけられてしまったのでした。
(いつか女性から逆ナンされてみたいものだ)とつねづね思っていましたが、まさかこんな2年ぶりに来た東京砂漠で、しかも高速を降りてすぐに、おまわり様に声をかけられるとは、しかも拡声器で大きな声で、恥ずかしいったらありゃしませんでした。
とにかく、さっそくおまわり様はやってきて、小言をいわれ、免許証拝見となりましたが、実はわたくし、長い間免許取消のままでございました。
随分前に累積で点数がなくなって取消になり、取消期間の3年を目前にして再度捕まってしまい、去年の5月に、また再取得できるはずだったのが、去年3月に左足の膝を粉砕骨折して、とりに行くことができず、今年の2月に再取得者講習の申し込みをしたばかりでした。
そこでまた捕まってしまいました。
これは「運が悪い」なんてぇ事ではありません。
身から出た錆、因果応報なのです。
とうとう、おまわり様はパトカーを手配して、私は世田谷警察署の取調室に閉じこめられてしまったのです。
2時間ほど調書をとられ、夜になってしまったため、近所のそば屋「長寿庵」のカツ丼をいただいて、「今夜は一晩寝て行け」との事で、留置場に放りこまれてしまいました。
その時から私は、「世田谷15番」となったのです。
私自身、ひどいショックと、これからどうなってしまうかと不安になり、その晩は一睡もできずに朝をむかえました。
(つづく)

はじめまして

はじめまして
中年ハジ公と申します。
年齢は45歳
そろそろ中年も後半にさしかかってきておりますが、
私は今年、無免許運転のため、東京拘置所で3ヶ月間臭い飯をいただいてまいりました。

ええ年こいて、なにしてんねん。

子供も3人もいれば、自分で会社も経営しておりました。
家族崩壊はまぬがれたものの、会社は壊滅状態に陥り、
どないもこないもありまへん。
いや、別に関西の人間ではありませんが。

とにかく

このブログを通して
拘置所生活がどんなものなのか、みなさんにお伝えしようと決心いたしました。
つまるか、つまらないかは分かりませんが、
経験に基ずいて、
あくまで客観的に書いてみようかと思います。
どうぞ
よろすく。

尚、上の写真は今年8月10日に出所したおり、
小菅駅ホームから撮影した
東京拘置所でござる。
いかにも威圧的な巨大要塞でござる。




らでぃっしゅぼーや