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2011年5月9日月曜日

武田邦彦教授のブログより

福島原発の不安



 5月8日、1号機の二重扉を開けるときに、ある程度の放射性物質が出ると予想され、それが不安を呼んでいました.
 そこに、8日未明に福島原発の映像に白いモヤがかかり、なにかの放出物が出た心配され、不安がさらに加速したようです。
 それに加えて3月から4月にかけてはNHKが原発の不安を煽っていたのに、急に報道を縮小したことも問題でした。
 つまり、多くの国民は、これまでの報道を見ていて、 「NHKは、何も起こっていないときには微に入り細に入り、原発のことを放送するけれど、危険になったら報道を止めるだろう」 との確信を持っているからです。
 これからも、NHKは「原発が危な区なると報道を控える」という態度で終始するでしょうから、NHKを見ることはむしろ危険になります.



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 ところで、このブログで再々、書きましたように、今回の福島原発の状態を一言で言えば、 「地震による破壊直後から、全ては科学的に進んでいる」 ということで、さらに踏み込んで言いますと、

● 2006年の地震指針で決めたとおり、

● 電力会社が勝手に決めた想定外の場合に起こるとおり、

に事態が推移したといってもそれほど間違っていません.
 つまり、今のところ、「ひどい状態」ですが、科学的に見て「意外なこと」は起こっていないのです.
 また原子炉は不安定ですから、今後も、「燃料の崩壊、溶融」などが起こる可能性もありますが、よく言われる「メルトダウン」というような状態にはなりません。
 かりに、燃料の崩壊が起こると、東電の収集作業としてはかなりの影響がありますが、私たちにとって「放射線が大量に漏れて、また避難しなければならない」という可能性は少ないと思います.
 万が一のために準備をしておくことは必要でも、その可能性が低いことも合わせて理解しておいた方が良いでしょう.

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 今回の1号機からの漏洩でも、漏洩量は「億ベクレル」の単位です.普段なら大変なことなのですが、すでに福島原発からは「京ベクレル」の単位の放射性物質が漏れていることと比較すると、「1億分の1以下」です.
 福島原発から京ベクレルの放射性物質が漏れたことはとても大変なことですが、これからの漏洩量はそれから見ると少ないという皮肉なことになっているということを示しておきたいと思います.
このことは、 「すでに漏れたものが、身の回りに「1億倍」もあるので、それからの被曝」 の方が重要で、福島原発のことはそれほど私たちにとって重要では無くなったことを示しています.



(平成23年5月9日 午前8時 執筆)









社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家



 福島原発の事故が起こって、わたくしがびっくりしたことの一つに、放射線医学もしくは防御の専門家が、これ程大きくその考え(および発言)を変えるとは思っていなかったことです。
 わたくしは、原子力の燃料を研究し始めた若い頃、放射線の仕事をする限りは、放射線と身体のことをよく勉強しておかなければいけないと思い、第1種放射線取扱主任者という試験を受け、免状をもらいました。
 この資格は、放射線を取り扱う専門家にとっては、最もレベルの高い資格で放射線を取り扱うところは、必ずこの資格を持った人がいなければいけないことになっています。
 でもわたくしは、放射線と人体の関係を「研究する」という意味では、専門家ではありません。わたくしはあくまでも原子力関係の専門家であり、その仕事をするに必要なものとして放射線取扱主任者の試験を受けたのです。


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 わたくしは、福島原発事故が起こってから「1年に100ミリシーベルトまでは大丈夫だ」と言っている「その人たち」に、長い間、真逆のこと、つまり「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と教えられてきたのです。
 放射線医学の専門家は、自信を持って次のように話してくれました。
 「放射線による人体の障害は2種類あって、100ミリシーベルト以上では、放射線に被爆した人に何らかの障害が出る。明らかに出るのは250ミリシーベルト程度である。
 これに対して100ミリシーベルト以下の被爆では、確率論的に患者が発生する。確率論的とは1人の人が被爆したから、その人が発症するというのではなく、10万人の集団が被曝すると、その中から確率的にある数の患者が出るということである。
 確率論的に患者が出るかどうかということについては、長く議論されてきたが、1990年の ICRP の勧告以来、国際的には確立しており、日本の法律もすべてそれに準拠している。
 放射線では確率論的に患者が発生するということを頭に叩きこんでおかなければならない 。
 わたくしにこのように教えてくれた先生がたは、福島原発の事故が起こると突然、態度を翻し、「武田は専門家でもないのに、いい加減なこと言って人心を惑わしている」と言い出したのです。
 わたくしは年でもあるので、わたくし自身が批判されることについては全く気にしていませんが、とにかくビックリしました。
 そして、この発言が多くの人を惑わし、また政府の政策を狂わせた原因にもなっています。

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 もしも放射線の専門家が20年間にわたってわたくしに教えてくれたことをそのまま社会に発信していたならば、政府は「1年に1ミリ以上は危険である」という国際基準と国内法を守る政策を採ったでしょう。
 それはとてもすっきりしているので、1年1ミリ以上になる可能性のあるところには、政府が数1000台のバスを手配して(ソ連がそうだった)避難することができたでしょうし、多くの人は一つの基準を守って安全な生活をすることができたと思うからです。

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 多くの放射線医学の専門家や放射線防護に携わっている人が真面目な人であるということは、わたくしはよく知っています。
 だからこそわたくしは驚いています。
 確かに個人的には、確率論的な患者の発生に対して批判的な学者もいましたけれども、全体としては完全に一致していたのです。
 その一つの証拠として、わたくしのところに放射線医学の専門医になるための国家試験問題を送ってくれた医師の先生がおられます.
 国家試験では「確率論的に患者が発生する」ということが正解である問題が毎年のように出ていたこと示していました。
 国家試験に出るような確実な問題なので、それを福島原発の事故が起こったからといって、急に180度転換するというのは極めて奇妙なことです。

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 今からでも遅くはありません。
 放射線医学もしくは放射線防護の学会や研究会は多くあります。
 できるだけ早く臨時大会を開き、「確率論的に患者が出るということを否定する」のか、もしくは「従来の立場を貫く」のか、その理由は何か、それを社会に発信しなければなりません。
 社会はこの関係の専門家の発言のために、大きく揺れ、また被爆者を出すことになりました。
 早く「専門家集団としての見解」を明らかにして欲しいと思っています。




(平成23年5月7日 午前11時 執筆)




子らよ・・・



 父は剣をとって敵と戦い、武運つたなく斬り殺される. そして君もまた父に殉じる。



 爆弾が頭上に落ちるとき、母は君を胸に抱いて爆弾に背を向ける. そして母は焼け焦げ君もまた命を落とす。



 何も出来なかったじゃないかと言わないでくれ。



 それで良いのだ. 君は父と母の愛のもとで眠る。



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 郡山の父、伊達の父は校庭の表土を除いた。君は26ミリシーベルトから8ミリシーベルトになった。



 君は父を尊敬するだろう。



 母は君を抱いて走った。知らない土地、辛い仕打ち、乏しい財布、その中で必死に逃げ、そして今、郷里に帰った。


 母の心は痛んでいる. もう少し逃げたかったが・・・それは出来なかった。 だから君の母は自らを責めている。 



 君は母を愛するだろう。



 人は万能ではなく, 人には出来ないことがある. 君もそれは承知だ。



 人ができること、それは爆弾が空から降ってこようと、目に見えぬ放射線が体を貫こうと、愛する子のために我が身を犠牲にすることだ。



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 私たちには希望がある。 それは全力を尽くした後に、子らが私たちを見つめる感謝の心。 



 私たちは、決してくじけることもなく、決して自らを責めることもない。



 私たちは、爆弾に背を向ける母のように全力を尽くすことができ、それで子らは満足する。 




(平成23年5月3日 夕暮れの郡山にて)

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