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2010年11月27日土曜日

拘置所生活3ヶ月の臭い飯の前に...

実は拘置所での3ヶ月の前に、3月10日から4月8日までは世田谷刑務所で約一ヶ月ほど冷たい飯<冷や飯>をいただいてまいりました。
<冷や飯>というだけあって、本当に冷たいのです。
そして拘置所や刑務所は<臭い飯>というだけあり、麦飯なのでちっと臭うのです。言葉は真実なのです。
3月10日、私は仕事の打ち合わせのため、首都高三軒茶屋出口をおりました。
降りるとすぐにY字路の交差点になっており、そのまま進むと246号ではなく、世田谷通りに右折してしまうため、あわてて左車線に変更したところ、あっという間に待ちかまえていた白バイのおまわり様に見つかり、拡声器で「そこのパジェロ!車線変更禁止で~す。信号の先で止まりんしゃ~い!」と声をかけられてしまったのでした。
(いつか女性から逆ナンされてみたいものだ)とつねづね思っていましたが、まさかこんな2年ぶりに来た東京砂漠で、しかも高速を降りてすぐに、おまわり様に声をかけられるとは、しかも拡声器で大きな声で、恥ずかしいったらありゃしませんでした。
とにかく、さっそくおまわり様はやってきて、小言をいわれ、免許証拝見となりましたが、実はわたくし、長い間免許取消のままでございました。
随分前に累積で点数がなくなって取消になり、取消期間の3年を目前にして再度捕まってしまい、去年の5月に、また再取得できるはずだったのが、去年3月に左足の膝を粉砕骨折して、とりに行くことができず、今年の2月に再取得者講習の申し込みをしたばかりでした。
そこでまた捕まってしまいました。
これは「運が悪い」なんてぇ事ではありません。
身から出た錆、因果応報なのです。
とうとう、おまわり様はパトカーを手配して、私は世田谷警察署の取調室に閉じこめられてしまったのです。
2時間ほど調書をとられ、夜になってしまったため、近所のそば屋「長寿庵」のカツ丼をいただいて、「今夜は一晩寝て行け」との事で、留置場に放りこまれてしまいました。
その時から私は、「世田谷15番」となったのです。
私自身、ひどいショックと、これからどうなってしまうかと不安になり、その晩は一睡もできずに朝をむかえました。
(つづく)

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