<スポンサーサイト>

2010年12月15日水曜日

裁判のあと

 私の身の上話による情状酌量作戦は、どうやら失敗に終わったようでした。弁護士と裁判官、検事は今回の裁判について事前に打ち合わせているにもかかわらず、弁護士からの被告人質問で、2度も裁判官から質問をさえぎられ、かえって心証を悪くしてしまったのです。
 人生は筋書き通りにはいかないものですが、この裁判であらためてその事を実感する羽目になりました。
 
 その後、私は現場作業をしながら、会社の後始末と再興のための方策を練り、金策に走ったりお客様に謝罪して回りました。これから刑務所に入るかもしれない人間に、お金を貸してくれる奇特な人はいるはずもなく、お金をつくることは出来ませんでしたが、お金を返さなければならない筈のお客様には、返済を待ってくれるばかりか、私を励ましてくれる方もおり、人の心の優しさに、ありがたくてありがたくて、心から感謝するばかりでした。

 5月のゴールデンウィークは、現場のスタッフも自主的に休み返上で仕事に出てくれました。お陰で判決の1日前に、なんとか現場を納めることができました。
 連休最終日の5月5日だけ休みをもらい、私は家族と霞ヶ浦にでかけました。私は2歳の娘をベビーキャリアで背負い、小学校3年生の息子と二人で自転車道を十数キロ走って霞ヶ浦に向かいました。妻と長男は車に乗ってヨットハーバーで待ち合わせ、みんなで遊覧船に乗りました。
 さすがに連休中だけあって、けっこう人も多くて座席には座れませんでしたが、子供たちは初めて乗る船と、目の前の水しぶきに大はしゃぎでした。
 遊覧船を降り、近くの公園で妻の作ったお弁当を食べて帰りました。
 たったこれだけの子供の日のプレゼントに、楽しそうにはしゃぐ無邪気な子供たちを見ながら、もしかすると、この子たちともしばらく会えなくなるかもしれないと思うと、涙がこぼれそうになりました。
 子供たちは何かを予感しているのか、今までに増して無邪気で、長男は私に抱きついてくるし、次男は学校でのことや、少林寺での出来事を話すし、娘は初めて私と一緒に寝たいと言ってくれました。仕事や酒飲みばかりで、子供たちが起きている時間に帰ることが、ほとんどなかった父親を、無言で許してくれているかのようでした。
 妻が長女を寝かしつけているときにかけている、オルゴールのCDの音楽を聴いて泣き、初めて次男の授業参観に行って、息子の姿を見て泣き、私はもう死んでしまうかのように、これから会えなくなるかもしれない家族のことを考えて泣きました。
 それがほんの数ヶ月であろうと、私には家族と離ればなれになることが、本当に辛かったのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿