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2010年12月4日土曜日

世田谷警察署留置所蔵書

 平日は午前10時になると、本を入れたケースが3箱出されて、漫画や小説を3冊まで借りることができます。午後3時に再度本を交換でき、夜8時に返します。
 調べや地検などに行かない限り、ずっと房に閉じこめられたままですから、本を何冊も読むことができますが、結構いたずら書きや破れている本もあって、小説を読んでいると、せっかく盛り上がってきたところで、1ページ破かれていたりします。
 私が、世田谷警察署に留置されている間に読んだ本は、
人間だもの/相田みつを
いちずに一本道 いちずに一つ事/相田みつを
ことばに生かされて/相田みつを・人生の応援歌
覚悟の法則/弘兼憲史
アメリカインディアンの教え/加藤諦三
「今、ここ」を生きる/片山源治郎
峠(上・下)/司馬遼太郎
鬼平半科帳/池波正太郎
雲ながれゆく/池波正太郎
剣客商売(待ち伏せ)/池波正太郎
雷桜/宇江佐真理
などでした。
 その他、「ゴルゴ13」や「コボちゃん」などもありましたが、マンガは特にいたずら書きが多く、とりわけエッチなシーンには定番の局部の肖像画が加えられていたり、あやしいシミがあったりするので、あまり読みませんでした。
 相田みつを氏の本は、これまであまり読んだことがなかったのですが、あーゆー場所で読むと、特に心に沁みまくり、涙がちょちょぎれたり(死語)します。
 特に気に入った詩や文章をノートに書き写したりしていました。


4月2日(金) 22日目 ~日記より~その2

 彼は熱心なカトリックらしく、朝、昼、晩と、毎日10分以上のお祈りをかかさない。夜中も俺がふと目を覚ますと、起きあがって祈っているときがある。
 彼も俺も、片言の英語で話しているのだが、普段は気さくな人柄で結構冗談も言う。ただ、家族のことを思い出すと、急に泣き出してしまう。それが日に2,3度ある。
 最初は俺もなぐさめていたのだが、最近は黙って、ただ見て見ぬ振りをしている。なぐさめたところで、どうにもならないのだ。
 ただ、「Be positive.」と言ってからは、泣きやんだ後俺に向かって「...Be positive...」とVサインをだし、「Be happy」と言うことがある。
 5人のあまり親しくもないコロンビア人の「盗み」と「偽造パスポート」。事件とすると、異国で言葉もなかな通じない事もあり、かなり困難なものになるだろう。いくら彼がやっていないと主張しても、認められない可能性の方が高い。
 既に起訴されて、今月26日には初公判も行われることになっているのだが、今日の調べはなんなのだろう。
 昨日、彼はやっと家族に短い手紙を出すことができた。
 ここに入れられて、すぐに手紙を出そうとしたところ、3ページにおよぶ家族にあてた手紙は、検閲のため日本語に訳すのに15000円かかり、エアメールで送るのに4000円かかると言われて、あきらめてしまったらしい。
 今週月曜日に、ほんの数行の短い手紙を書いて看守に出した。翻訳料は3900円だったそうだ。昨日、翻訳された日本文を見せてもらったが、内容は彼の母親宛で、家族の名前を全部書き(彼には2人の息子と、1人の娘がいる)、愛していることと、心配しないで欲しい(と書いて、その下に弁護士の住所と電話番号)、最後に「忍耐です」と書かれていた。
 初めて訪れた異国で逮捕されると、カルチャーショックもあるだろうし、法律や常識の違いもあるし、かなり複雑なことになってしまうようだ。
 彼の弁護士は、東京で唯一スペイン語を話せる弁護士なのだそうだが、彼によればかなり年輩で、いつも疲れているらしく、呼んでもなかなか来ないし、2,3日後にやっと来たと思って面会すると、「今日は疲れているから、もう帰らせて欲しい」などと言うそうだ。彼もほとほといやになると言っていた。
 国選弁護士とは言えプロ意識にかけているし、弁護士にもいろんなのがいるようだ。

2010年12月3日金曜日

4月2日(金) 22日目 午前10時40分

 日記より

 夕べから外は強い風邪が吹いており、ビルの谷間をぬける風邪の音がうるさくて、なかなか寝付けなかった。房から見える曇りガラスの向こうは曇っているのだろう、白と灰色で濁っている。
 ここに来て4度目の入浴日だった。昨日、妻が差し入れてくれた新しいスエットの上下を着た。
 夕べ、第4居室に一人、隣の第5居室に一人、新しい人が入った。ここでは「新入り」と呼ぶ。この場所にとても馴染んでしまう「新入り」という言葉の響きが、どうしても好きになれない。
 この房の同居人は、何故かさっき調べに呼ばれて行った。火曜日に起訴になっているのだから、調べはない筈なのだが。また別件で起訴されるのだろうか。
 彼は調べから帰ってくると、いつも機嫌が悪い。相当きついことを言われるらしいのだ。何日か前は、「Your father is bad!  Your mother and wife and chirld and grand father is bad!!」と言われ、刑事と目も合わせずに黙っていたと言い、その後声をあげて泣いていた。
 容疑者とは言え、人権を無視したそんな取り調べをしていいのだろうか。彼は人種差別だと言っていた。弁護士がくれた、日本人用の旅行者ポケットスペイン語会話の辞書を見て、「人種差別」という言葉を探り当てたのだ。刑事にも「アナタハ ジンシュサベツダ!」と言ったらしいが、刑事は薄ら笑いで、「No,no.」と言っただけらしい。刑事は、「私とあなたは友達なんだから、全てを正直に話してくれ。そうしないと、友達として私は悲しい。」などと言うこともあるらしい。その後、意味の分からないことを怒鳴り出すが、一切無視していると言っていた。
 彼はパスポート偽造と盗みで逮捕されている。去年の年末にコロンビアから日本に、出稼ぎ目的できたらしい。コロンビアから日本へは、ビザがないと入国できず、ほとんどのコロンビア人はメキシコ人の偽造パスポートを、10万円程度で作って日本に入るらしく、彼も当たり前のように、そうして日本に入国したそうだ。
 日本に着て3日目に、三軒茶屋近辺で仕事を探しているときに、3人のコロンビア人に出会い、同郷ということでいろいろ話をしていると、仕事を探しているなら一緒に住もうと言われて、彼らが住んでいる2DKのアパートに一緒に住むことになったらしい。それが、ある日突然大勢の警官がアパートにやってきて、「盗み」をはたらいたとして、彼を含む5人のコロンビア人は訳も分からないまま、手錠をかけられて逮捕されたというのだ。彼は全く身に覚えがないと言う。
 他の4人のコロンビア人は、みんな別々の刑務所に留置されているらしい。
 その後の取り調べで、全員が偽造パスポートでの不法侵入であることもわかってしまい、彼はそのことは認めているのだが、盗みはやっていないと言う。
 刑事の話によれば、どうやら他の4人は前から目を付けていた窃盗団の一味らしく、彼らが全員同罪だと言っているために、彼も巻き込まれてしまっているらしいのだ。
 彼は拘留されて2ヶ月近くになるが、いまだに盗みは認めておらず、しかし刑事や弁護士からも、実刑となり3年以上は刑務所にはいらなければならないと、決めつけたように言われていると言う。
(つづく)

同居のひとびと

 ここに入って同じ房の同居人は3人。
 一人は私が入る3日前に、酒に酔って公務執行妨害で逮捕された同い年の内装屋さん。彼は一週間ほどで、略式起訴されて30万の罰金を払い釈放となりました。
 その3日後に入ってきたのは、三軒茶屋でスナックを25年経営しているという、60歳のオーナー。スナックでホステスを客の席に同席させていたことが、風営法に違反しているということで、突然5,6人の刑事にふみこまれ、その場で逮捕されたとのこと。痩せ形でロマンスグレーの髪をした、穏やかな口調の紳士で、ゴルフはシングルという、留置場にいることが全く似合わない方でした。
 この人も弁護士を頼み、拘留延長されて10日ほど居ましたが、略式裁判の罰金刑で釈放されました。
 仕事の事や家のことなど、結構いろいろ話をして、これからのことを相談にのってもらったりしていました。
 釈放になる日の朝、運動の時間にタバコを吸いながら、「きっとここを出たら、最初にSさんの店に行くから。」と言うと、「そうそう、その位明るく考えなきゃ。」と、穏やかに微笑みながら言ってくれました。
 もう一人は、38歳のヒゲの濃いコロンビア人で、私が入る1ヶ月前に窃盗容疑で逮捕され、去年の暮れに、出稼ぎのために初めて日本に来て、全く日本語は話せず、母国語もスペイン語のために、私と同じでいい加減な英語を少し話せる程度でした。
 私との会話は、日本人が旅行先で使うための、小さなスペイン語ガイドブックを使いながら、ちぐはぐな英語で話していたので、初めはお互いに分かっているのかわかっていないのか、ちんぷんかんぷんでしたが、3,4日たつとなんとなく言おうとしてることがわかってきて、そのうち、冗談も言うようになりました。
 彼は熱心なクリスチャンらしく、いつも聖書を読み、朝昼晩と聖書の文章を唱えて祈りをかかしませんでした。
 私が釈放された後も、この先どうなるのか全く見えていない状態でしたので、今どうしているのかわかりません。家族にも、逮捕後は全く連絡がとれていないようでしたので、私が釈放されてから彼の家族に2,3度国際電話をかけたのですが、家族はスペイン語しか話せないため、程度の低い英語で話してもよくわからない様子でした。
 私が釈放される朝、彼は私に泣きながら、「Don't worry,Be happy.」と、私が彼に教えた言葉を言って見送ってくれました。

 

ここで聞こえる音

留置事務室から留置場のドア越しに鳴らすブザー(1回:警ら 2回:退室 3回:入室)
隣の房の話し声
トイレを流す音
4階の道場で剣道をする気合いの声
曇りガラスの向こう側 車の走る音 クラクション バイクの爆音
歩く人の声 学生の笑い声 幼児の泣き声
パトカーが拡声器で出動を伝える声とサイレン
護送車が到着し、護送される人が階段を降りる時の警察官の叫ぶ声
「護送!4名!」「逆送!4名」
調べに行く人が手錠をかけられて擦れ合う金属音
隣人が本をめくる音 隣人の屁 爪をかむ音
どこかの房で寝ている人のいびき
誰かの風邪っぽい咳
雨音
雨をハネながら走る車の音
遠くで吠える犬 カラスの泣き声
看守の持つ鍵の束の音
房を見回る看守の足音
看守台で書類にハンコを押す音
空調機の音
誰かが泣く声
心で泣く声

ジャガイモシチュー

 実はわたしは22年前、この世田谷警察署のすぐ近くの上馬のボロアパートに住んでいたことがあり、そこから自転車で池上大橋にある音楽関係の会社に通勤していたので、三軒茶屋や世田谷警察署の付近は、よく知っている場所でした。
 検察からの帰り、逆送の護送車の窓から見える街並みは、どこも懐かしい風景でしたが、それでも22年前なので、通っていた銭湯はなくなってコインパーキングになっていたり、八百屋だったところはセブンイレブンになっていました。ただ、世田谷線だけは、車両こそ新しくなっていましたが、相変わらず2両編成でした。
 当時住んでいたアパートがどうなっているかは確認できませんでしたが、多分当時でさえボロボロで、雨漏りはするし、窓の立て付けが悪くて完全に開かなかったりしていたので、もう無くなっているかもしれません。
 4畳半に小さな流しがあって、共同便所で風呂はありませんでした。
 80歳を越えた口うるさい婆さんが大家で、夜12時を過ぎると裏木戸の鍵を掛けられてしまうため、いつも窓の鍵を閉めずに出かけて、塀をよじ登って窓から2階の部屋に入っていたのでした。
 その頃つきあっていた女性は高校3年生だったのですが(私は当時22歳なので、淫行ではありませぬ)、学校が終わると、電車で3時間かけてアパートに来て、わたしが仕事に行っている間、シチューをつくって帰っていくという、なんとも胸のキュンとする、切ない青春時代だったわけですが、その後その子にふられ、「ジャガイモシチューがたべたくて...」という歌がうまれたのでありまする。
 余談でした。
 丁度自分の年齢の半分の歳に住んでいたこの場所に、逮捕されて戻ってきたのは何の因果であるのでせう。もう一度、イチから出直せという事なのでしょうか。つくづく考えてしまいました。

 世田谷警察署には、捕まって5日後に妻が2歳の娘を抱いて、父と叔父の4人で面会にきてくれました。
 15分しか時間がないので、今回のことを詫びたあとは、会社の今後のことや、お客様への連絡を伝えるだけで時間切れとなってしまいましたが、さすがに娘が帰りがけにバイバイと無邪気に手を振ってくれたあとは、房にもどってから涙が止まりませんでした。
 先ほど書いたように、長男が重症の知的障害者であるため、養護学校への送迎の合間に、何時間もかけて面会にくるのは大変なはずでしたが、それでも妻は、たった15分の面会のために電車を乗り継いで5,6度来てくれ、その度に服や本を差し入れてくれました。
 もう、一生頭があがりましぇん。
 
 弁護士以外の面会時には看守が1人立ち会いますが、面会が終わった後、こちらの会話を聞いていて、「いろいろ大変だな。」などと言ってくれる看守もさんもいて、心配してくれたり、励ましてくれたりもしました。
 以下、留置所で書いていた日記から

4月1日(木) 21日目 丸3週間
 今朝、運動(タバコ)の時間に看守さんに、「15番、奥さんが11時半頃来るらしいから、心の準備をしておいてくれ、な。」と言われた。この看守さんはもうすぐ定年という感じの年輩の方で、背が低く、話していると早口でドモルため、時々何を言っているのかわからないときもあるが、人情味があり、いろいろと心配してくれたりする。 時々鼻歌を歌っていたり、地味な冗談を言ったりして、俺は好きなタイプだ。
 昨日、15日ごとの簡単な健康診断のようなものがあり、前の人が終わるのを廊下で待っているときも、「15番、15番」と呼ばれて廊下の隅に連れて行かれ、小声で弁護士を頼んだかどうかと、保釈請求をしてもらえたのかと聞かれたので、弁護士との正式な契約が月曜日になってしまい、その時点で保釈申請をすすめてくれるそうです。と答えると、「まぁ、いろいろとあって大変だろうけど、頑張ってくれよ、な。経営者なんだからよ、な。」と心配してくれた。涙があっというまにこみ上げてきた。言葉につまり、「ありがとうございます。」としか言えなかった。考えてみると、ここに来てから優しい言葉をかけてもらったことはなく、ちょっとした言葉で、ありがたさに心がぐらつき、涙がこぼれる。

留置所で書いていた2冊の日記

2010年12月2日木曜日

検事との対面

 霞ヶ関の東京地検では、まず拘留延長の申請がされ、2,3日後に今度は裁判所に行き、裁判官から拘留延長の決定が申し渡されます。この流れは止めることはできず、どんなに哀願しても、延長されてしまうのです。
 そして、今度は区検の交通専門の検事による聴取があり、そこで今までのいきさつと、何の車を何台乗り換えたかとか、どこで給油をしたかとか聞かれ、質問に答えると、「たちが悪いなあ」とか、「それでよく会社の経営者だなんて言えるな」とか、糞味噌に言われながら調書を作成されて、最後にまとめた調書を読み上げ、内容に間違いがなければ署名と指印を押すのです。
 私の場合、長期の無免許のため、「悪質である」「常習者である」「社会性が欠落している」に加え、障害者である息子の話をだされ、「息子さんのことを裁判で話して、お涙頂戴しても無駄だからな!そんな話をして、自分が恥ずかしくないのか!」とまで言われました。
 これは、事情聴取の際に、家庭環境をひとつひとつ聞かれたから答えただけであるのに、勝手に解釈して、吐き捨てるように言われたのです。この時ばかりは私も検事を睨みました。すると、「なんだその目は、反省していないようだな。」
 この時のことは、きっと忘れることはないでしょう。
 聴取する検事と裁判に出廷する検事は違う人間らしいので、このクサレ検事には二度と会うことはありませんが、もし娑婆に出てから会うことがあったら、こう言ってやりたいと思いました。
 「あなたの様に人の気持ちが分からない人間は、人の善悪を判断しては駄目だ。もう遅いかもしれないが、再び勉強し直して職業を選び直しなさい。そうでないと無知なあなたは沢山の人に恨まれ、最低な人生を送ることになるよ。」
 後で弁護士から聞いたことですが、この50後半の検事は、何かやらかしたらしく、相当遠い地検に移動になったということでした。

 警察署での取り調べを何度かしているうち、取調官とも色々話をするようになり、証拠を挙げるために自宅や会社にまで来ていたため、結構仕事のことや今後のことまで心配してくれるようになりました。
 取り調べをしたおまわり様は、最初に捕まった白バイの方で、その同僚らしき、やはり白バイのおまわり様と、時々入れ替わりながらの取り調べでした。
 白バイのおまわり様は、白バイに乗っているだけではなく、肩書きは「司法警察官」ということで、以前は検察でも仕事をしていたということでした。
 取り調べで、できるだけ多くの証拠を挙げて、まとめた調書を検事に提出し、起訴するために内容が弱いと、再度検事に命令されて証拠を探すのですが、そのために、東京から何度もわたしの住む田舎町に足を運んだそうです。
 そして、私の会社の従業員や実家の父にも事情聴取をし、ずっと車に乗り続けていたという証言を得て、証拠として調書に追加するのです。
 3月10日に逮捕されて、25日に警察での最後の取り調べ(業界では「しらべ」と言う)があり、その時は、まとめた調書を読み上げたあと、「これで検察に提出して、その後起訴することになると思うけど、そうなったら弁護士を頼んだ方がいいよ。頼まないでいたらいつまでも出られないから。」と、小声で言ってくれました。
 つまり、私は自分が悪いので弁護士など頼む必要がないと考えていましたが、そうではなく、弁護士をたのんで保釈請求をだせば、留置所を出られる可能性があったらしいのです。
 「なんだ、そうだったのか・・・」
 拘置所で会った、同じように無免許3回目で逮捕された人に聞いたところ、その人はすぐに弁護士を頼んで保釈請求を提出して、1週間で留置場から出られたそうなのです。
 私はすぐに国選弁護士をお願いし、一度は当番弁護士が面会に来てくれましたが、起訴状が届いたのが29日だったので、すぐに私選で弁護士を依頼して、保釈請求を申請してもらいました。
 しかし、時既に遅く、会社の全てを私が仕切っていたため、家賃の支払いやお客様の工事が遅れ、どうにもならなくなっていたため、父の判断で会社の荷物は全て持ち出され、閉鎖されてしまいました。(つづく)