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2011年1月18日火曜日

僕の好きな先生

 この拘置所には一体何人の職員がいるのでしょうか。
 拘置所の周りにはここで働く人のための公務員住宅が建ち並んでいて、朝はみなさん歩いてやってきます。すぐ近くにある東武伊勢崎線の小菅駅は、改札も1ヶ所しかない小さな小さな駅で駅の周りに商店街らしきものはありませんし、多分夜などはオイハギがでるのではないかと思われるほど、寂しい場所です。
 出所してから気付いたのですが、巨大要塞の面会者入口の前には、入所者への差し入れ品専門の小さなお店が数軒並んでいて、この町はこの要塞の収容者と、ここに働く人たちで構成されていると言っても過言ではないようです。
 府中刑務所でさえ500人もの刑務官がいるらしいので、3000人近いこの施設の収容者の人数からいくと、かなりの人がこの施設で働いていると思われます。
 ところで、この施設で入所者が接するのは、ネズミ色の制服と制帽を被った看守と、青い制服と安全靴にキャップを被った警備隊の刑務官だけで、その他の職員を目にすることはほとんどありません。
 そして、入所者は刑務官のことを「先生」と呼びます。この呼び方に私は違和感を感じると前に書きましたが、ここの先生方も、やはり人間ですのでいろんな方がおります。
 各階に担当と副担当がいて、正確にはわかりませんが、その他2,3名の警備隊が風呂や運動の時の誘導をします。
 私の居たC棟4階の担当先生は、35歳前後の中肉中背で色黒、目つきが鋭く中南米系の顔をした、かなり個性がきつく気性も荒い方でした。
 態度の悪い受刑者や不良受刑者を、しょっちゅう大声で怒鳴っており、日に一度は気が狂ったように怒りまくることがあって、その吠え方は尋常ではありませんでした。私があそこまでしょっちゅう怒鳴っていたりしたら、多分血管が本当に切れて死ぬのではないかと思われるほどの勢いです。そして、入所者を怒鳴った後も「チキショー!気分わりぃー!!」とか「ばかやろー!オモシロクネー!」とか大声で言いながら廊下を歩き、時には廊下の壁を蹴とばしながら、しばらくの間グチグチと不満を言い続けることが少なくありませんでした。
 そして、その後は必ず他の誰かにとばっちりがいき、特にその階で働く掃夫の小型の方は、格好の餌食になっていました。ちょっとしたことで、「なんだ、テメーは、やる気あんのかっ!」「なめてると一生ここで下っ働きだぞ!」などと脅し、一日中小言を言われ続けていましたが、小型君は反抗できるわけもなく、何度も何度も「すいません、すいません」と誤るばかりでした。
 しかし、この先生、感情の起伏が非常に激しく、機嫌がいいときは鼻歌を歌って廊下をスキップしていたり、食器口の小窓からニヤニヤしながら、用もないのにこちらを覗いていたりと、少し気味の悪いお方でした。
 ある時は、丁度その頃流行っていた、木村カエラの「リグリントン」というかわいらしい歌のサビの部分を「♪~リグリントン リグリンリントン♪~」と歌いながら廊下を歩いていて、それが日に何度もお歌いになるので、耳についてしまい、あまりの気色悪さにこちらが気が狂いそうでした。
 「僕の好きな先生」は決してこの方ではなく、夜勤の時に居る30歳前後の看守様でした。
 この方は異様に腰が低く、受刑者に対しても丁寧な敬語で話し、夜は15分おきに各房が異常ないか確認に廻るのですが、眠れない受刑者がいれば話し相手になっていたりしました。食事の配当なども、掃夫よりも働くし、なかなか好感の持てる看守でした。
 ただ、少し気が弱いのか、何度か受刑者に怒鳴られて謝っていたこともありましたが。

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