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2011年4月14日木曜日

パラダイムの転換

 私が小学生の頃には道徳の授業があり、確か「見方・考え方」という授業もありました。その中で相手の考え方を受け入れたり、自分の主張を伝えたりすることを学び、人と人とのコミニュケーションの大切さを学んだ記憶があります。
 大人になって段々頭が固くなってくると、自己主張が強くなるのでしょうか、頑固者になってきます。私もそうだと思います。
 昨日も少し書きましたが、世の中には色々な考え方の人がいるので、単なる頑固者でいては世界が狭くなってしまうし、妥協してばかりでは自分の意見が無くなってしまいますが、このブログで紹介している、地震や原発について話す解説者やジャーナリストや学者にも色々な考えの人がいるので、何をどう理解していいのかわからなくなる時があります。
 人はそれまでの人生の経験によって受ける条件付けが、自分のパラダイム(見方・考え方)に大きな影響を与えます。自分は客観的に正確に物事を見ているつもりでも、他人もまた、客観的に鮮明に全く違った見方をしていて、つまり「立場」というものはその人の立っている場所によって異なるのだと思います。だからこそ、自分だけの客観的視野を全てだと考えずに、パラダイムの転換をして別の方向から見てみることがとても大切なのではないのかと、最近考えるようになりました。
 例えば、中部大学教授の武田邦彦氏の話を聞いていると、へらへら笑いながら、かなりキツイ事を、さも当たり前のように話していて、こちらは真剣に聞いているのに、なぜこの人はこんな感じなのだろうと最初のうちは思っていました。しかし、これまで彼の色々な話を聞いているうちに、「この人は嘘のない本当のことをつつみ隠さず話していて、しかも自分の知っている限りのことを伝えようとしているのだ。だからこんな風に話すのであって、へらへらしているわけではないのだ。」と思うようになりました。もちろんそれも私の見方であって、本当にそうなのかはわかりません。
 うまくまとまりませんが、つまり、今まで地震や原発について色々な人の見方・考え方を知って、その度にパラダイムの方向を変えているうちに、なんとなく自分なりに解釈できてきて、結論が見えてきたような気がするのです。

 昔読んだスティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」に載っていた2つの話を以下に掲載します。

<ST.1>
 ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄でのことだった。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。
 そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎだし、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
 しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気付かない様子だった。子供たちはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとしなかった。
 私はいらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか。」と言ってみた。
 彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気が付いたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事をした。
 「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと...。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が...、あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか....。子供たちも混乱しているみたいで...。」
 その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
 「奥さんが亡くなったのですが。それは本当にお気の毒に。私に何かできることはないでしょうか。」
 一瞬にしてすべてが変わった。

<ST.2>
 訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のため数日間にわたり航海を続けていた。私は先頭を行く戦艦のブリッジで夕暮れを迎えた。視界が悪く断片的に霧がかかっていたため、艦長もブリッジに残り、状況を見守っていた。
 暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。
「艦首の右舷側の進路に光が見えます」
「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」
 と艦長。
 見張りの答えは、
「停止しています、艦長」
 つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるということだった。
 艦長は信号手に命じた。
「その船に対し信号を出せ。衝突の危険があるため、20度進路を変更せよ、と」
 相手からの信号が返ってきた。
「そちらの方が20度進路を変更するよう助言する」
 艦長は再び命令した。
「信号を送れ。私は艦長だ。20度進路を変えるように」
 すると、
「こちらは二等水兵だ。そちらの方こそ20度進路を変えるように命令する」
 と返事が返ってきた。
 艦長は怒りだし、
「信号を送れ。こちらは戦艦だ。20度進路を変えろ」
 と叫んだ。
 点滅する光の信号が返ってきた。
「こちらは灯台である」
 我々は進路を変えた。

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