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2011年3月31日木曜日

予言されていた“原発震災” 広瀬隆氏インタビュー 2011/3/20

<ビデオニュース・ドットコムより>

 枝野官房長官は、19日夕、地震で緊急停止した後、放射能漏れの危機的な状況に陥った福島第一原発1~3号機の原子炉について、海水注入により一定の安定状況にあると述べた。しかし、事態が終息に向かうかどうかはいまだ、まったくわからない状況が続いている。
 作家の広瀬隆氏は、80年代から原子力発電所の危険性を訴えてきた。昨年出版した『原子炉時限爆弾』では、「原発が地震によって制御不能に陥り、周辺に放射能を撒き散らす“原発震災”が起きる」と予測していた。
 広瀬氏は、火力発電と水力発電で日本の電気使用量はまかなえる、原発を停止した際の電力不足を心配するより、まず今は、原発の危険性をしっかりと考えてほしいと話し、たとえ福島原発の被害を最小限に食い止めることができたとしても、次の大地震で別の原発が事故を起こすと懸念する。
 19日昼現在、広瀬氏は福島第一原発の状況をどう見ているのか。また、今後どのような事態を想定し、放射線はわれわれにどのような影響を与える可能性があると考えているのか。そして、そもそも日本の原発はどのような危険性をはらんだものであるのか。政府、メディア、御用学者はほとんど事実を話していないと断じる広瀬氏に、神保哲生が聞いた。

【特別番組】あえて最悪のシナリオとその対処法を考える 1/2

ビデオニュース・ドットコム(http://www.videonews.com )
他のメディアでは言わないことを、正直に正確に話している報道番組だと思います。2/2もありますので、かなり長い番組ですが是非見てください。

出演:飯田哲也氏(NPO環境エネルギー政策研究所所長)、小出裕章氏(京 都大学原子炉実験所助教)、青木理(ジャーナリスト)、宮台真司(社会学者 、首都大学東京教授)、神保哲生(ビデオニュース・ドットコム代表)ほか  ~3/28放送~



↑ かなり重いので、画像が写らない場合はビデオニュース・ドットコム  http://youtu.be/7W3ZI6ENAl0
から見てください。

福島原発事故~メディア報道のあり方~広瀬 隆

 原発事故後、私が大きなショックを受けた広瀬隆氏の話。もう既に見ている人も多いと思いますが、何度見ても怖くなります。
 彼は40年前から原発を反対している人ですが、元々医療関係の仕事から放射線、原発に疑問を抱き、色々なデータを元に原子力に反対しています。
 この方の講演も沢山アップされていますので、見てください。彼は何年も前からこれまでのデータをもとに今回の事故を予測しています。




<広瀬隆氏の言ったドイツでなくフランス発解析動画 福島原発>



 これを見ると、3月14,15日に放射線が風にのって関東地方から西に流れているのが解りますが、私の家の近くの高エネルギー研究所(高エネルギー加速器研究機構)が計測している放射線量のグラフが跳ね上がっている日付と一致します。



 高エネ研のリアルタイムの線量計測 ↓
http://rcwww.kek.jp/norm/nai.html
 

2011年3月30日水曜日

東日本大震災と福島原発事故

 3月11日、私は再度免許を取得するに当たって、必ず受講しなければならない「取り消し処分者講習」なるものを、33000円を支払って土浦市にある自動車教習所で受けていました。
 2日間の講習の1日目で、地震発生時には教習車に乗り、教官と他の受講者2人とで教習所内のコースを回っている最中でした。
 丁度私が運転している時に、教官から「タイヤがパンクしたようだから、ちょっと車を止めて」と言われ、私は車を止めてドアを開けて外に出ようとすると、足元のアスファルトが動いているのに気付きました。
 ふと目を上げると、目に入る全てのものが大きく揺れていて、近くの家の瓦がガラガラと音をたてて落ち、教習所の隣にある中学校のガラスが何枚も割れ始めました。教習所の4階建ての建物はコンニャクのように揺れていて、職員や生徒が悲鳴を上げてよろめきながらに飛び出してくるのが見えました。駐車場に並んでいた20台ほどの教習車が、ハイドロ車のように跳ね上がっていました。
 パンクではなく地震で車が揺れていたことにすぐに気付き、他の教習車も止まっていましたが、教官無しで一人で走っていた無線車の中には、運転に真剣になっていて気付かないのか、運転を止めずに上下左右に車を揺らしながら走っている人もいました。気付かないというのはなんと恐ろしいことでしょう。
 当然講習は中止になり、翌日の講習も出られなければ来週に持ち越すことになって、私も急いで自転車で家路につきました。

 3月11日の地震と津波、そして福島原発の事故をこれまで見てきて、私が今まで知らなかった色々なことを知る羽目になりました。
 特に原発の存在そのものに関する情報を見て、怒りや悲しみを覚え、どうにも気持ちが収まらなくなってしまいました。
 「中年ハジ公」は、暫くの間拘置所の話を休ませていただき、これを読んでいただいているみなさんに知って欲しい現実をお伝えしていこうと思います。
 思い上がった行動かもしれませんが、私にできることが何かあるとすれば、今はそうすることがベストだと思うのです。
 今回の災害では、いろいろな情報が流れ、それに対する人それぞれのやり場のない気持ちがあふれ出しているのも事実です。それこそが天災よりも恐ろしい、情報による二次災害にもなりかねません。
 私はこのブログの中で、知って欲しい人に知らされていない情報や、データに基づいた正しい情報を、出きるだけ沢山紹介していきたいと思っています。中には既に知られているものもあるかもしれませんが、あくまで私の主観になってしまう点はご了承下さい。また、もし内容に共感していただき、もっと多くの人に広めた方がいいと思うものがあれば、皆さんの力でどんどん広めていって欲しいと思います。



 これは、ニューヨークタイムスのカメラマンが撮影した現地の写真です。日本のメディアでは殆ど紹介されておらず、毎日更新しているので今の被災地の様子がわかります。

  この他の写真は ↓ からどうぞ

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?src=tptw#1

 
 

2011年3月17日木曜日

東日本大震災

 11日に東北と関東を襲った大地震は、1万人を越す犠牲者を出すほどの大惨事となってしまいました。その後も茨城、栃木、長野、静岡と各地で地震が発生しており、予断を許せない事態が続いています。
 今回の地震で震災に遭われた方や、被災されて避難所で暮らしている皆様に、心からお見舞い申しあげます。

 前回、「魔の3月」などと不謹慎にも書いてしまったことを、今になって大変後悔しています。私の自己中心的な行動での不始末などはどうでも良いことであり、今回の地震で被災された方々、亡くなった方々が天災とは言え本当にお気の毒でなりません。
 何度もテレビで流される津波の様子や、その後の現地の目を覆いたくなるような光景と、食料や暖がとれないまま、被災地で暮らしている方々を見るたびに本当に心が痛みます。
 私の住む場所も大きな揺れがあり、家の中の物が足の踏み場もないほどに散乱し、近所の屋根瓦が落ち、ブロック塀や石塀が崩れ落ちて道路も通れないような状態でしたが、今はいずれも片づいて、電気水道も3日後には復旧しました。家族も元気に過ごしています。
 私には被災された方々のために、何かをできる術がありませんが、せめてもと思い少々の義援金を送らせていただきました。今後も私にもできる事が見つかれば、微力ながら行動したいと考えています。

 生命あることを尊び、全てに感謝しながら生きることの大切さを、今回の災害から学びました。
 どうかご無事で、元気でまた元の生活が出きるようになることを、切に切に願います。

2011年3月4日金曜日

魔の3月

 このところ、体調が悪かったり仕事が忙しくなってきたりで、ブログの更新がなかなかできずに、気が付いたら3月になってしまいました。
 そう、魔の3月が始まってしまったのです。
 この話の初めの方で書いたとおり、去年の3月10日に私は無免許運転で逮捕され、1ヶ月の留置所生活と3ヶ月の拘置所生活を強いられました。
 一昨年の3月6日には自分の会社の事務所で、キャスター付きのイスの上に立って、ロッカーの上に物を置こうとして転倒して左の膝小僧を強打し、救急車で病院に行き、膝の皿の粉砕骨折で手術を受けて、その後3ヶ月は松葉杖の生活でした。
 振り返ってみると、2000年の3月に買ったばかりの新車のハリアーで事故を起こしたり、2005年の3月に取引先の所長に、私の会社に支払われるべき工事代金の200万を持ち逃げされたり、そういえば、かなり昔ですが電車で財布を盗まれて、当時付き合っていた彼女に金を借りて改札を出られたものの、その後すぐにその彼女に振られたのも3月でした。高校を卒業後に、両親の不仲が原因で長野に家出したのも3月だったし、子供の頃、私にとてもなついていた、柴犬のモモが死んだのも3月でした。
 ああ、なんということでしょうか。3月は私にとって厄月なのです。
 これも全て因果応報によるものなのでしょうか。
 
 昨年の3月10日に逮捕される前日の夜、私は仲の良い先輩と酒を飲むために、行き付けの居酒屋に車を止めました。すると、車から降りた途端に「シューーーー」という音がして、左タイヤがパンクしてしまったのです。しかも1ヶ月前に新品に交換したばかりのタイヤでした。結構寒い夜で雨もチラチラと降っていたのですが、先に来ていた先輩と、居酒屋のマスターに手伝って貰い、1時間もかけてなんとかタイヤを交換しました。1ヶ月前に交換したばかりなのに、タイヤのボルトがなかなか回らず、かなり手こずって、店のマスターも帰りは送っていくから車を置いていけばという話になるほどだったのです。しかしなんとかねばって交換することができました。
 飲み始めてすぐに、マスターの息子さんから電話があり、今度は息子さんの車がパンクしてしまったので迎えに来てほしいという電話でした。「なんだか今夜はパンクの話ばかりだなぁ」などと話ながら酒を飲んだのでした。
 考えてみると、あの夜、タイヤの交換を諦めていたら、私は東京まで車で行くことはなかったでしょう。もちろん無免許ですから、そもそも車を運転してはいけないのですが、そうでなくても、きっと電車で行っていたと思うのです。
 江原様的に考えれば、あの夜私の背後霊様が、私が翌日車で東京に行くのを止めようとしたに違いありません。そうとしか思えないのです。いや、そう思いたい。
 なんでもいいけど、とにかく今月は、外に出るのも飯を食うのもトイレに入るのも、慎重に慎重に行動し、なるべく部屋にひきこもって大人しくしていようと思っている次第でありますです。